Inevitabilism (必然主義?)
5ヶ月くらい前に The sound of inevitability (Tom Renner) という記事を読みました。
These are some big names in the tech world, all framing the conversation in a very specific way. Rather than “is this the future you want?”, the question is instead “how will you adapt to this inevitable future?”.
ビッグテックは共通して、「この避けられない未来にどう適応するのか」というようにして会話を誘導する — くらいでしょうか。
これを読んで、確かにわたしたちが、「AIは未来である。追従できなければ取り残される。」とある種、脅迫的な観念を持つようになったのは、 彼らと、その周辺がそのように脅すからだったなって思ったものです。私の記事の趣旨は、「AIを使うな」ではありません。「使わないと取り残される」みたいな恐怖があるなら、少なくともそれが「ビッグテック」とか「謎のAIスペシャリスト」とかに植え付けられたものではないことを確認してください。一方で、周辺の人と同じ程度には使える必要はあるでしょう。 ↩
さて、私はこの記事で Inevitability って単語と、それが『The Age of Surveillance Capitalism (Shoshana Zuboff)』って本に掲載されてるってことを知りました。
日本語訳本も『監視資本主義 (訳: 野中香方子)』として出版されているってことで、結構前に買ったんですけど、この本600ページくらいあってなかなか読み進められないんですよね…。
ただ、本当に再序盤の p.15 にもとても好きな文があったので引用します。
監視資本主義はロジックであってテクノロジーではない、というのは重要なポイントだ。監視資本主義者は、自らの活動は自らが採用するテクノロジーの必然的な結果だと、わたしたちに思い込ませようとするからだ。
この辺りは、人間の創作物一般すべてを「学習の対象」とするのを、「テクノロジーの要請」であるかのようにして実行しようとした者を思い出すところ。 「学習」は、それなりの生成物を得るために、確かに必要かもしれないが、それはただ、生成物で経済的利益を得たい企業のロジックで、「テクノロジーのせい」ではない。
「テクノロジーの都合上」みたいな顔をして彼らは搾り取ろうとしてくるので、いい感じに距離を置きましょうねと。
以上!